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 ▼メロンと幸せの黄色いハンカチの街  おっちゃん 06/6/17(土) 14:27
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  デンスイ 06/6/17(土) 18:46
   ┃  ┗Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  おっちゃん 06/6/18(日) 7:32
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  北品川庄司 06/6/17(土) 19:38
   ┃  ┗Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  どんちゃん 06/6/18(日) 6:18
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  どんちゃん 06/6/18(日) 6:22
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  stein 06/6/18(日) 12:57
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  8715 06/6/19(月) 11:08
   ┣Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  えんとろぴー 06/6/19(月) 14:23
   ┗Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  おっちゃん 06/6/20(火) 9:07

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 ■題名 : メロンと幸せの黄色いハンカチの街
 ■名前 : おっちゃん
 ■日付 : 06/6/17(土) 14:27
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   今週の頭から、北海道内で話題になっている話があります。
昔は石炭で栄え、映画「幸せの黄色いハンカチ」で有名になり
炭鉱閉山後は「メロン」の街で有名な夕張市が
財政再建団体「一般企業で言えば会社更生法」の申請を行おうとしています。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060617&j=0030&k=200606177543

炭鉱最盛期の頃は12万以上いた人口も現在は1万5千人未満となり
かつての面影がないようです。

私の産まれも夕張ではないのですが、炭鉱町でした。
閉山して30年以上経つのですが、年に1度ですが訪れると
「本当に人が住んでいて栄えていた所なのか?」と疑ってしまいます。

夕張市も国の政策で炭鉱が閉山し、企業が解散・倒産となり
税収が減ってしまい、最終的には街自体が破綻状態に陥ってしまいました。

なにか全てが国主導で釈然としない気がするのですが。。。。。駄文すいません。。。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : デンスイ  ■日付 : 06/6/17(土) 18:46  -------------------------------------------------------------------------
   冷たい見方のようですが
炭坑が栄える前の夕張の人口はどれぐらい
だったのでしょうか?

私にはむしろ炭坑が栄えた時期が異常だった
ように思えるのです。
本来の夕張に戻ったという視点で見つめなければ
いつまでも後ろ向きになってしまうように思えます。

それにしても近年夕張メロンを食べてないなぁ・・・
あのオレンジ色の果肉は何とも言えません。
まがい物はたくさん出てますがね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : おっちゃん  ■日付 : 06/6/18(日) 7:32  -------------------------------------------------------------------------
   夕張は石炭が発見された頃の明治22年は現在と変わらない人口です。
その後大正9年頃に5万人を超え昭和30年台に最大を迎えて町の基幹産業に
なりました。しかし昭和45年頃からの国の石炭政策により基幹産業である
炭鉱が閉山に追い込まれ、平成に入り夕張から炭鉱が完全に消えました。
炭鉱が完全消滅するまでは、順調だったようです、しかし
完全消滅してから15年余りでこの様な状況になったようです。

かつては、国のエネルギー源だった石炭です。
一気にツケが回ってきたという感じです

>私にはむしろ炭坑が栄えた時期が異常だった
>ように思えるのです。
私は夕張が国の政策に踊らされ結果的には捨てられてしまったと考えます。
通常であれば7年位で再建完了するようですが、
大方の見方で数十年かかるとも言われています。

>本来の夕張に戻ったという視点で見つめなければ
>いつまでも後ろ向きになってしまうように思えます。
閉山から観光都市とシフトしようとして結果的には失敗したのは事実です。
開拓されてから120経過した街、何年かけて元の自然に戻してゆくかが
最後の夕張の残された課題かな?と思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : 北品川庄司  ■日付 : 06/6/17(土) 19:38  -------------------------------------------------------------------------
   実は廃墟マニアなワタシ、
炭鉱系の廃墟は大好きです
足尾の廃坑も見に行きましたが
そこが栄えていたところとはとても思えないような感じでした
夕張もたぶん同じなんでしょうね。


ところで、
蟹はもうあきらめたから
メロンを送るべし!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : どんちゃん  ■日付 : 06/6/18(日) 6:18  -------------------------------------------------------------------------
   >実は廃墟マニアなワタシ、
>炭鉱系の廃墟は大好きです
だから長崎の軍艦島をアップしてたんですね!納得。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : どんちゃん  ■日付 : 06/6/18(日) 6:22  -------------------------------------------------------------------------
   九州にも非常に多いですね。炭鉱閉山で寂れた町。
姪浜のように福岡市内だと再生できるけど、離れていたら難しい。
他人事じゃないです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : stein  ■日付 : 06/6/18(日) 12:57  -------------------------------------------------------------------------
   孔子の言葉を借りるまでもなく、この世の中は時間と共に流れています。
別の言い方をすれば、
世の中の人間を含めた万物は、いつも必ず変わっていますね。
良いことか悪いこかに一切関わりなく、いつも変わっていきますね。

「文明の興亡」理論?があります。
文明が興り繁栄するときには、それなりの条件が揃っており、
その条件が無くなれば、その文明は滅亡する。単純ですが明快です。
15年前のベストセラー「日はまた沈む」は、100%この理論の産物です。

肝心な点は、その時代の人が、その時代の成立条件を認識しているかどうかです。
認識していれば、環境の変化に即して対応できますが、
認識していなければ、「こんな私に誰がした」と、古い演歌の世界に流れていきます。

実際のところ、現在進行形の出来事を客観的に見ることは難しいですね。
卑近な話になりますが、
自分の人生が今どうなっているのか、さっぱり認識できません。
本当に難しい、そう思いますね・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : 8715  ■日付 : 06/6/19(月) 11:08  -------------------------------------------------------------------------
   >なにか全てが国主導で釈然としない気がするのですが。。。。

悲しい気持ちはよくわかりますが、仕方のないことだと思います。
炭鉱に関しては、国も指導の手腕を発揮することができないほど産業構造が変わってしまったのです。
国の役人が全員敏腕だとは思いませんが、敏腕役人が頑張り様がないほど、急激なエネルギーシフトがあったのだと思います。
かくいう私の身近なところで言いますと、祖父は石炭の卸商をしてました。(らしいです。昔話です。)
今は全然別の仕事をしています。

歴史が好きなものですので、与太話をひとつ。
徳川幕府が発足した時に、論功行賞で、井伊家(幕末に大老を出しました。)には彦根が与えられました。
徳川は、譜代の大名には大領を与えず格式をもって遇したとはいいながら、「赤備え」で有名な井伊家です。
軍にあっては常に先鋒を賜りという軍功第一の家臣です。
つまり彦根はただの小藩ではありえません。
米原とともに近江の米どころ第一でありしかも交通の要所であったのが彦根です。
江戸時代を通じて米経済の要衝であり、その繁栄は井伊家の格式を支えました。
また大阪の繁栄も近江あってのことで、「河内音頭」の原曲は「江州音頭」といわれています。
また、大阪商人の大本は江州商人というのも定説になっているのです。
事実「なんでも鑑定団」では近江の古蔵からぞくぞくと重要文化財レベルの美術品が出てきています。
その彦根、米原は、今ではすっかり地方都市になってしまっています。
新幹線の開通も、人材や繁栄の流出のためにしかなっていません。
米経済から産業経済への移行は、東京大阪名古屋という大都市への集中を促したのです。

そんでもってまた貴方の北海道でいいますと、オタモイ岬のニシン御殿はどうでしょう。
いまじゃ、寂れて、おんぼろろ、おんぼろろなんじゃないですか?
ニシンの漁獲高の減少のせいではありません。
ニシンを肥料にして綿花を採るという産業が日本から消失したための現象です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : えんとろぴー  ■日付 : 06/6/19(月) 14:23  -------------------------------------------------------------------------
   蛇足ですが・・・。

つい最近、昔炭鉱業を営んでいた会社員からのお話で、

昔、炭鉱が盛んだった頃と、今の石炭の使用総量とは、
あまり劇的な変化は無いらしいのです。

確かに、目に見えやすい交通機関であったSLはなくなりましたが
使用量の殆どが、今でもある火力発電・製鉄だとお聞きしました。
ついでに全盛期でも、日本産の使用量は、数%ぐらいだったと・・・。

なぜに高々数パーセントの使用量の炭鉱町を
つぶさなくてはならなかったのか?

なぜそれほどまでに、海外の石炭に頼らないといけないのか?

いろんなところで、いろんな利権が、国民の意思とはかけ離れて
動いているみたいな、そんなお話でした。

全世界を見ても、町が廃るだけではなく、
簡単に人命が奪われています・・・。

そんな時、自分に何ができるでしょうか?
考えさせられましたが答えは出ません^^;

何の意味合いも無く、長文失礼しました。。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:メロンと幸せの黄色いハンカチの街  ■名前 : おっちゃん  ■日付 : 06/6/20(火) 9:07  -------------------------------------------------------------------------
   おはようございます。
確かに、街は栄枯盛衰を繰り返してゆくものですね。

エネルギー革命により石炭から石油とシフトし
国内炭においては世界的に見ても硫黄分が少なく質が良いと聞きますが
価格が釣り合わなくなり、閉鎖に追い込まれ輸送費をかけてもコストが安い
海外炭になっています。

現に空調メーカーも国内の生産から、海外へシフトしている現実を考えると
日本という国は、高い技術力があるにもかかわらず海外依存度の
非常に高い消費国なのかな?と考えてしまいます。

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