Page 1419 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 建築設備フォーラムへ ┃ 会議室に戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼あなたは、何故設備を選んだのですか? masa 08/9/19(金) 9:23 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 裕次郎 08/9/19(金) 10:31 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? なかしん 08/9/19(金) 12:25 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 管理人(Yoh) 08/9/19(金) 13:34 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? おっちゃん 08/9/19(金) 14:52 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 外注社員4年目 08/9/20(土) 11:39 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? けろ 08/9/22(月) 14:38 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? kaito 08/9/22(月) 15:36 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? てんとむし 08/9/22(月) 20:21 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 設備おばさん 08/9/22(月) 23:53 ┃ ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 管理人(Yoh) 08/9/23(火) 5:16 ┃ ┃ ┗Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? 設備おばさん 08/9/30(火) 22:41 ┃ ┗Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? てんとむし 08/9/24(水) 0:18 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? EM 08/9/23(火) 18:31 ┣Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? つなぎの水道屋 08/9/24(水) 0:39 ┗Re:あなたは、何故設備を選んだのですか? おば嬢 08/9/25(木) 11:44 ─────────────────────────────────────── ■題名 : あなたは、何故設備を選んだのですか? ■名前 : masa ■日付 : 08/9/19(金) 9:23 -------------------------------------------------------------------------
みなさんは、なぜ設備に関連する業務につく事を選んだのでしょう? いろいろ事情はおありでしょうが、これからの後進の人たちに、設備業界は、どんな仕事なのか、なぜその仕事を選んだのかを説明する義務がわれわれにはあるような気がします。 私が設備の仕事を選んだ理由は、以下のとおりです。 生まれた場所が、職人が多い町でした、町工場、建築職人がいっぱいまわりにいました。 私が生まれた時は、高度成長期(昭和30年から昭和48年)の入口です、東京オリンピックの3年前に生まれました。 祖父が普請が好きで、父は建築設計事務所の電気担当、叔父は機械担当でした。 私は、とにかく動く物が好きでした、時計とか、機械を分解するのが生まれた頃から好きでした。 小学校の時は、何かを作りたくて、友達と廃材を集めて小屋みたいなものを作っていました。(そう言いながらも、私の夢はタクシーの運転手でした) 中学校の時は、ミュージシャンになりたかったです。(実力が無くてあきらめましたが) 高校の時は、自動車整備士を目指しました。 大学入学時は、物理学者も目指していました。(受験は、物理学科と建築設備工学科だけです) 私は、もともと衛生・空調・電気すべてに興味があったので、建築設備工学科を選びました。(アルバイトもすべて、体験しています) 設備おばさんや、おば嬢さんは建築系学科で設備を選択された理由を表明されています。 ぜひ、みなさんが設備を選んだ理由をお聞きしたと思います。 |
小学校の卒業文集に、将来の夢「建築家・学校の先生」とあります。 小学校の頃友達の家でレゴで夢中になって家の模型?を作っていました。 自分の家では、方眼紙に将来住みたい家の間取り図を夢中で書いて親に見せていました。 高校を卒業して、学校の先生になろうと思うも浪人して、建築学科のある大学へ行くことに。 授業料を自分で払う約束があったので、昼間はアルバイト、夜学校という日々でした。 大学2年の時に先輩に「意匠設計で食っていくのは大変だぞ、ゼネコンで下働きになる可能性もあるから」と言われ、構造か設備かどちらかを選択することに。 構造は数学があまり得意でないのであきらめ、設備に足を突っ込みました。 先輩の紹介で、設備設計事務所(空調・衛生)へアルバイト先が移り、それ以来設備設計専門です。 卒業と同時に、掛け持ちでアルバイトをしていた他の設備設計事務所へ就職。 空調・衛生担当2人、電機担当1人の小さな設計事務所でした。 空調衛生は既に普通に設計できるようになっていたので、「おまえ電気ヤレ!」と所長に言われ、見よう見まねで電気設計を始めて、電気の計算から設計・積算まで、先輩に教わり、自分で参考書を購入して必至に覚えて、弱電から高圧受変電まで、一通りの設計もできるようになりました。 そんな中で、建築士への思いもずっとあって、こちらも何とか合格することができて、足かけ8年間の修行の後に独立をしました。 まだ、バブルのさなかでしたので、大手ゼネコンの仕事もあった時代。何とか今まで波に乗って来られました。 あと2年、50で仕事を辞めて、田舎暮らしと考えていましたが、まだ、子供が成人していないので、もうしばらくはこの仕事続けそうです。 |
私は、科学者を目指しておりました。(とても漠然としていますが・・・・) 小さい頃から色々な物を混ぜたり分解したり、試験管を見る姿にあこがれていたと思います。 本が好きだったので、色々な人の伝記などは読破したと思います。(記憶に残っていませんが) 実家が建築業だったので、自然と後を継ぐのだと感じていました。 そのように仕向けられたと思います。 しかし、その子供の適正を判断した親は設計という分野へ導いてくれたと思います。 技術家庭科の授業で、本棚の図面を書き、制作するものがありました。 その後何年もお手本となっていたことを知り、才能があると錯覚をしてしまった次第です。 設計事務所に就職しましたが、理数系の感覚に合ったのが設備分野でした。 こじつけでは無い、理論で正解が導き出せることが自分に合ったと思います。 自然現象の疑問や数式のアレルギーがなかったのが良かったと思いますね。 |
皆さんのを読んでると、なかなか面白いですね。。。 私は子供の頃は 新聞記者になりたかった と記憶してます。 (こんなサイトをやっているのも、その影響があるのかもしれません) 転校が多くて小学校は5つも行きましたが、すぐに馴染んでしまうタイプでした。 (よくいえば)自立心が強かったのか、高校からは遠く親元を離れてアパートで (楽しく)一人暮らしでした。。。 手先が器用で、模型を作ったり、製図を書いたりが得意だったので、 なんとなく建築を目指したのですが、 気がつけば、なぜか環境系でもマイナーな建築音響を選択してました。 ホントは ソニーなどに行きたいと思ったのですが(笑)、 入った設計事務所に (当然)そんな分野は無く、空調・給排水が専門の普通の設備屋さんに・・・ 事務所には意匠屋さんが使ってた MACがあって(当時クルマと同じぐらいの値段 でした)、憧れのリンゴマークを喜んで いじってましたね。 それこそまだ、WIN系にはエクセルが存在してない頃のことで、私としては、 MAC=エクセル! それはそれは衝撃的なソフトでした。 もちろんインターネットなんて無い時代でしたが、パソコン通信はやってました ので、電子メール歴は長いのです。 やがてインターネットの登場と共に私の頭の中には、今の「建築設備フォーラム」 構想が浮かび、どうせならと会社を独立し、「せつび屋さんナビゲーター」を 立ち上げたのです。(まだ、ADSLすら存在していない 20世紀末のことです) ・・・早いもので、このサイトもうすぐ9年目に突入ですね。 |
ワタシは炭鉱町に産まれ 炭鉱直轄営繕工事に携わっていた親父が、 閉山を機に建築会社へ再就職しました。 その当時(約40年前ですが)一級建築士を保有している方が まだ少なく(父は3万番台です)引く手数多だったそうです。 そういった親父の背中を見て育ちましたが ワタシが高校へ進学するときに一時、建築業界が下火となってしまい 進路に迷い、別の方面に進んでしまいました。 しかし上の学校へ進学するときに、ちょっとしたことで断念しなければなりませんでした。 数ヶ月間、自暴自棄になったときに、親父が一言 「建築に戻ってみたらどうだ!ただ箱じゃなく、これからは中身が大切になってくる」 と、建築設備の世界へ導いてくれました。 たぶん親父は、これからは設備の重要性を意識していたのかもしれません。 もしかしたら親子鷹で何かを行いたかったのかもしれません。 年が明けたら80歳になる親父です、第一線はすでに退いてますが 親父を追い越せ!と思い、がむしゃらで勉強しました。・・・追いつけませんね。 ワタシは、親父の一言でこの業界に入りましたが正解でした。 色々難題にぶつかってますが、プレッシャーを少し楽しめるようになりました。 |
なし崩しに設備屋になった例ということで投稿させていただきます。 高校進学の際に、 「普通科で大学受験なんてしたくない!」 ということで職業高校で比較的異性も多い『建築学科』を選択。 (ここが人生の大失敗) しかし、学校では意匠の哲学チックな話にうんざり。 構造計算もことごとく成績不良。 やむなく、設備系の研究室へ。(高専だったので研究室がありました) 就職活動時期は、のんびりしすぎて完全に乗り遅れ。 学校とコネのあった会社に就職。 それが、設備施工会社。 やりなおすなら、高校進学からやり直したい・・・。 しかし、自分の親も設備系の仕事をしており、ある意味運命とも感じてます。 |
成り行きです(笑) 職探しに行った職安で、たまたま設備設計事務所の求人が目に留まりました。 給料条件も新人としてはまあまあで(その後そんなに上がらないとは思いませんでしたが) 通勤にも便利で(その後すぐ移転するとは思いませんでしたが) 「未経験者可」の文字が決め手(!)でした。 面接に行ってみると、 「新人でも大丈夫。他の社員も未経験から頑張っている人が多いから」 (ベテランがみんな辞めてしまっていただけ) 「若い人も多いし活力があるよ」 (社員が長く居つかないから) 「残業も多くて月に10時間くらいかな」 (真っ赤なウソ……) ということで、サッサと決めてしまいました。 「設計」とは何をするのかを知らず、 まして「設備」なんて存在すら知らず。 蛇口を付ければ水が出る。 そう思っていたくらいで。 いろいろ大変な面もありましたが、 普段目につかない部分のシステマティックな設計が面白くて、 ただの入れ物(躯体)の設計なんかよりもよっぽど魅力的に感じて、 そのままこの業界にどっぷりと浸かっています。 やってみて初めて、 「そうか、こういう仕事が好きだったんだ」 と思ったような次第。 学校で設備や建築について系統的に学んでいないので、 そして現場経験も無いので、 実務を通じて徐々に身につけていきつつある(専門に学んだ人でも一生続けることなのでしょうが)。 そんな現状です。 これから「設備業界」を目指す方たちには、 何の参考にもならない経歴です。 |
高校進学の際、家庭の事情で卒業後は即就職したく そのために技術を身に付けようと 建築科、電気科、そして設備工業科を受験。 全て合格はしたのですが設備工業科以外は私立高校。 親の負担を少しでも軽くするために公立の設備工業科へ入学。 進学の際は設備工業科が何を学ぶところかも解らず入学したことを 今でも覚えています。 目的通り就職も叶い 色々ありましたが今でも設備に携わっています。 |
父が土木、祖父が建築でした。(共にゼネコン) 物心ついた頃から父が家で定規やコンパスやハンドルを くるくる回す計算機で図面を描いていたのを覚えています。 プラモ大好き。時計やラジオを分解し、電子ブロックにはまり、 家にあるがらくたを使ってはいろんな物を作っていました。 「科学と学習」の「科学」おまけ大好きでした。(学習は読んだこともなかった) 何も考えずに高校3年の大学受験の時に将来を少し考えました。 受けた学科は地球物理学、獣医、教育学部、建築とバラバラ。 何年も浪人をしながら、何時しか建築だけを受けるようになって いたのは間違いなく家庭環境からだと思っています。 意匠のセンスがないことはすぐわかりました。そのときに とある大学の先輩に、「これからは設備の時代がくる!」 といわれ、環境系の研究室に入りました。 親の影響からか、ゼネコン就職しか頭に無かったのですが 縁が無かったらしく、卒業と同時に設備設計事務所、最近になって 意匠事務所に移りました。 今では「本当に設備の時代がきた!」と思っています。 それと..... あまりにも皆さんと年が近くて...笑っちゃいます。 |
楽しく読ませていただいています。 皆様が若い頃どのようなきっかけで設備業界に入られたか、千差万別。 私、年を食っている分話が長くなりそうだから遠慮しますが、もし長くても結構、なぜ建築から設備へとお知りになりたいリクエストがあったらお話します。 |
もちろん、熱烈リクエストします! |
公私共、色々有りまして、タイミングを逸してしまいましたが。 私の父の家系は代々医者で、父が8代目でした。 父は、医者でも軍医上がりの、国家公務員の医者で、父の転勤という名の島流しで、広島を振り出しに、広島、東京、北海道、東京、九州と流されてきました。 子供のころから絵を描くのが好きで、小学校1年の時夏休みの宿題の絵画で、遠近法を使って絵を描いて先生に怒られました(親が代作したと疑われた)。 算数が好きで、担任の先生の間違いを指摘して先生に嫌われた(代用教員上がりの先生だった)。 高校2年まで将来の希望を聞かれたら迷わず「小児科の医者」と答えていた。 ところが、18歳で気がついた、国立に行くには、学力不足、私立に行くには財力不足! 女ばかりの末っ子、姉たちは別の道へ!肩の荷が下りた嬉しさ! 自分の好きな道に進んでも良いのではないかと思った時、 父は医者、上の姉二人は栄養士、すぐ上の姉は薬剤師、家族全員で国民の健康を守っているような? 一人ぐらい変わり者がいても許されるのではと、第一希望、演劇の舞台の装置、第二希望、映画の装置、そんな学校九州にはありませんでした。 そんなとき理数系と絵画、美術が繋がるところで見つけたのが建築科でした。 大学受験、薬学部と建築家、両方受かって、父に建築科に進ませてくれとお願いしてっも、父は一週間口をきいてくれなかった(時代が女が建築に行くなんて!)。 やっと父の了解のもと、建築科へ。親に負担掛けないように、また大好きな旅行に行くためにアルバイトの日々(設計事務所や、コンサルタント)。 そこで体感したこと。建築業界で女であることがいかにデメリットか1! そのデメリットを補うために私が選択した道。 それが「建築科出身者が一番少ない分野の建築設備」。 意匠希望でしたが、設備を習得することで、女性であるデメリットを補い、男性と同等の立場で仕事ができるのではないかと考えた次第です(しかし話が長い!) 意匠はいつでもできる、人生経験重ねたほうが良い、と思っていました。 ところが計算上、理論上、設計の根拠が明確に出る私には、設備は微妙にはまってしまう世界でした。 それはナルシズムで私みたいに計算上の答えを求める者には照れくさくて、赤面もんで、私はやはり答えが理論上で出てくる設備のほうが性に合っているように思います。 長い話お付き合いありがとうございました。 |
ぼ〜くもっ! |
それでは私も・・・ 兄の影響からか、大学は工学部・機械工学科を選びました。 3年の選択科目に「空調設備」があって、4年の卒論で 「空調」を選んだのが始まりです。 一時期は、工学部の選択から違ってたかなとも思いましたが、 過去は変えられないし、今となっては、じっくりと検討できる この設計業界のありかたが、性に合ってたかもしれません。 冷凍業界に就職し、その後に建築設計事務所の設備担当をして修行 (会社で寝てました)、恩師の独立に伴い手代で修練。 建築設備士取って独立(いかだで海に出るようでしたね)。 バブルが始まりバブル崩壊、あれから結構たちますね。 30年は長いようで短いようで、なんとも言えません。 アドバイスといってはなんですが、設備のドラフトは?です。 設備家として仕事をすれば、いろいろな施主・建築家・関連の方々 との出会いがあります。 本来の仕事を全うすれば、道は開けると思ってます。 |
末端の現場員なので、皆様のように大学卒ではなく、高校をかろうじて卒業させていただいたものですが、(単位を2つ落して)恥を忍んで書いてみます。 私、高校を卒業して今とは全く関係のない専門学校に、行きなんとなく生活していました。 この様な私でもお付き合いをしてくれる女性がいて数年お付き合いしていただいたのですが、あるとき震災があり、色々な事情でわかれる言葉が「・・・」 私それ以来、仕事に没頭しなければ、と思い浮かんだのが、私3月生まれで「うお座」なので、水関係と思い今に至っています。 安易といえば安易ですが、非常にフィットしています。 |
再度表明いたします(笑)。 親父ドノがプラント屋だったのでそちら方面にと考えていたら当時は機械 学科は女性はどうかね〜、の雰囲気で、比較的近い建築設備に進学希望を。 大学見学もしましたけれど展示物の意匠系ぷんぷんの世界が理解できず、 建築設備科で探していたらヒットしたのが我が母校・某専学・即決。 時は流れて20ん年。スーゼネ派遣勤務からPM/CM職でただ今転業準備中 ですが、人材バンク査定も、設備職は市場価値が高く評価されるものだなと 感じます。とにかく設備屋さんは何でもやりますから雑学の固まりでそれが どうやらいいみたいなんですよ。 ちなみにPM/CM職はまだ確立されてませんが数年後には需要が爆発的に 増えると思います。特に電気・設備屋さんならではの仕事と思います。 改修工事と設計図ひけて見積もでき、ゼネコン扱いに自信がある方は、是非 これからおすすめしたい業態です。 雑学大好き、好奇心旺盛、設備屋の条件でしょうかね・・・ 常連さんもその傾向ですしね(^ ^:)。 |
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