Page 1345 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 建築設備フォーラムへ ┃ 会議室に戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼サルトルは語る 鉄人60号 08/5/14(水) 7:41 ┗Re:サルトルは語る ぼくと 08/5/14(水) 23:06 ┗Re:サルトルは語る 鉄人60号 08/5/15(木) 6:24 ┣Re:サルトルは語る ぼくと 08/5/15(木) 20:41 ┗Re:サルトルは語る 鉄人60号 08/5/18(日) 7:38 ┗Re:サルトルは語る ぼくと 08/5/19(月) 21:10 ┗Re:サルトルは語る。 まつけん 08/5/20(火) 9:54 ┗Re:サルトルは語る。 ぼくと 08/5/20(火) 21:05 ─────────────────────────────────────── ■題名 : サルトルは語る ■名前 : 鉄人60号 ■日付 : 08/5/14(水) 7:41 -------------------------------------------------------------------------
元工場設備屋です。 サルトルの「実存主義とは何か」を読んでいたらこんなことが書いてありました。 人は最初は何ものでもない。人間でもない。 人は後になって(自覚して)はじめて人間になるのである。 人は自らが作ったものになるのである。 人は自らがそう考えるところのものであるのみならず、自ら望むところのものであり 自ら考えるところのもの、自らが作るところのもの以外の何ものでもない。 以上が実存主義の第一原理なのである。 これはものすごいことを書いていますね。 意訳すれば、生業が設備屋であっても、 自らが設備屋であると自覚しなければ設備屋ではない、こういうことでしょうか。 私もある時期に、設備屋として生きていこうと決めた瞬間がありました。 抽象的な言葉ですが、自分の人生と照らし合わせてみると、納得してしまいます。 サルトルは偉い、感動しました。 |
この局面で「サルトルは語る」ですか・・・・。いや、感服しました。 てつじん60号さんは、サルトルに感動されましたが、私は、あなたの的確な粋に感動しました。 四川の悲劇、少々憂いを感じますが・・・。 風薫る5月、明日の宵は是非、夢の角を調達しマクラにして、サルトリアンにひたってみたいと思います。 しかし苦しい現実、神頼みしたらサルトルさんに叱られますかね?。 |
レスありがとうございます。 スレは有名な文言らしいですが、私はそのあとの文章がもっとすごいと思います。 実存が本質に先立つものとすれば、人は自らあるところのものに対して責任がある。 したがって実存主義の最初の手続きは、各人をして自らあるところのものを把握せしめ、 自らの実存について全責任を彼に負わしめることである。 人は自らについて責任を持つという場合、 それは、厳格な意味の彼個人について責任を持つということではなく 全人類に対して責任を持つという意味である。 ・・・ たしかに多くの人々は、行動することによって、自分自身にしか関係しないと信じ、 「もし、皆がそうしたら?」と言われたら、「皆がそうするわけじゃない」と答える。 しかし、実を言えば、人は常に「もし皆がそうしたらどうなるか」と自問すべきである。 サルトルの自分の理性に対する完璧な自信と、自分を律する行動理念のすごさを ひしひしと感じる言葉です。 巷で言われている個人主義、自由主義とはレベルが違います。 生ぬるい生活に明け暮れている私にとってサルトルは、 彼が真っ先に否定した神に見えます。逆説的ですが・・・。 |
さて、鉄人60号さん。 当方準備万端整いました。それではこれから突撃します。 |
>人は自らについて責任を持つという場合、 >それは、厳格な意味の彼個人について責任を持つということではなく >全人類に対して責任を持つという意味である。 >・・・ >たしかに多くの人々は、行動することによって、自分自身にしか関係しないと信じ、 >「もし、皆がそうしたら?」と言われたら、「皆がそうするわけじゃない」と答える。 >しかし、実を言えば、人は常に「もし皆がそうしたらどうなるか」と自問すべきである。 設備屋としてこの言葉を受け取るとき、身の引き締まる思いがします。 忙しさや経済的制限にかまけ、本来の設備屋としての仕事(任務)をなおざりにしていないか 安易な妥協をしていないか、いつも自問自答して、真摯な態度で事に当たるべきである、 意訳すれば、こう言っているように思います。 凡人は、能力に限界がありますから、 せめて、このような気概や志をいつも肌身離さず持ち続けて精一杯がんばる、 こうありたいですね。 このサイトを使って自分に喝を入れさせていただきました。この辺で退散します・・・ |
ホーー!。ようやくでした。 私は技術屋だからでしょうか、今読んでる文章が分からないと、次に進めないたちみたいです。難解な文章に出くわすと、そこで立ち止まってしまい、アレコレ考え、ついには訳が分からなくなってボーとして、さっき、どこを読んでたのかさえも分からなくなってしまいます。昔と同じです。ちっとも成長していない自分が、おかしいやらかわいいやら。結局、国語力がないんですね!。 物象の見方はいろいろとあるものです。おかげさまで、永らく忘れていた感性や気がつかなかった考え方に出会い、少し、脳が若返ったようです。 人間、やはり、大事なことは繰り返して学習すべきですね。その意味で、今回の講習制度というものは、お金がかかり時間もかかって、あまり受けたいとは思わないけど、人を守るため、引いては自分を守るために必要な事なんですよね、きっと。 そう考えると、国交省や審議会の決定は、厳しさもあるけれど、我々に手をさしのべて守ってくれてることになるのかな・・・とも思いました。 お礼に、プレゼントします。ご存じの方も多いと思いますが、「自覚」「知る」ということで、是非、「世阿弥」(ぜあみ)を調べてください。 「サルトル」「世阿弥」は「大戦」「戦国」の人で、共に戦下の人たちです。 そんな戦火の中に、すごい感性が生まれてきたのですね。 意匠で、世阿弥を知らない人はモグリでしょう。 世阿弥は、恐ろしいほどの美意識と幽玄の世界へ誘ってくれます。 ありがとうございました。 卜人 |
鉄人60号さん、ト人さん、お二人の投稿を楽しませていただきました。ありがとうございました。 哲学のことを Philosophy というのをご存知のことと思います。この単語はギリシャ語の二つの単語が組み合わさってできた造語でして、Philia(愛する) + osophy(知恵)です。このこともご存知のことでしょう。 哲学と思想、宗教などとの境を明確に区別することは分野によっては可能だと思いますが、お互い重なり合っている部分もありますね。原因や原理、また人の経験してきたことを理性や思索によって理解し、解釈しようとする人々の努力は計り知れないものがあります。 思索の糧を与えてくださっている先人からの遺産に感謝しています。 |
やはり、たくさんの方がご覧になっているのですね。まつけんさんありがとうございました。 「てつがく」とは「愛する」+「知恵」ですか・・・。 愛する相手は、きっと全人類なんでしょうね。 ・・・と言うことは、少なくとも、私は多くの有名な哲学者に愛されているのでしょうね。なんだか豊で、ゾクゾクした気分になりますね。すごい人たちが、すぐ身の回りにいるみたいです。 また、「先人の思索の糧に感謝」とは、なんとすばらしい言葉でしょうか。 今日は、気持ちの良い眠りにつけると思います。 卜人 |
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